今回の特集内のありとあらゆる言葉のなかで、「ジョンビーチをなめていけない」というものほど、魂がこもったものもありません。逆をいえば、はっきりとなめていたのだと思います、ジョンビーチを。でもですね、父島を訪れた春から季節が3つ変わったいま感じることは、チェアってやっぱり座るものだと思うんですよね。決して、運ぶものじゃない。
にもかかわらず、冒頭の写真のようにジョンビーチで座るためには、魔法使いかマジシャンでもなければ、総重量約3.2kgの「Tradcanvas ポータブルアッセムチェア」を〝自力〟で運ばなければならない。座るためには運ばなきゃならないという、ジョンビーチのジレンマ!!!
すみません。書きながら思い出しているうちにテンションがあがりすぎたので、クールダウンのために父島の美しき一輪を掲載してみました。
そうなんです。父島の自然は本当に美しくて、母島などを含めた小笠原諸島が世界自然遺産に指定されたのは2011年のこと。なので、キャンプは全面禁止。ゆえに、アウトドアなアクティビティとしてチェアリングを選んだのですが、ジョンビーチへのトレッキングコース入口でも、靴底の異物を落としてから歩き始めることが推奨されていましたし、ガイドか調査か観光かなども把握しているようでした。ちなみに、石ころで投票するというか、自己申告するシステムです。
歩き始めて30分で絶望的な疲労感が全身を襲いました。汗が水道の蛇口をひねったようにダダ流れます。ガイドブックや看板が、やたらと「多めの水を持参」と告げていたので、2リットルほどを用意して歩き始めたのだけれど、そのことだけはナメないで本当によかった。飲んで歩いて、歩いて飲む。呼吸が荒ぶる。肺が痛い。全身の筋肉も痛い。小港海岸の歩き始めから、中山峠までの最初の30分ほどがとにかくキツい難所でした。
救いは、ボニンブルーです。過去に僕が経験していたトレッキングは、山あいのそれだったので基本的には緑の中を歩いていくことがほとんど。けれど、父島のジョンビーチへのトレッキングは、右も左もボニンブルー。ボニンの語源は「無人島(ぶにんじま)」の「ぶにん」が「ぼにん」に転訛していったそうです。ボニンブルーとは、小笠原諸島特有の底抜けに明るい海の青さをさすとのこと。これが、美しい。
飲んで歩いてボニン見て歩いていると、ジョンビーチ方面から帰ってきた人が、僕の胸元あたりをじぃっと見ているではありませんか。視線が強い。その視線の先である胸元には専用の収納バッグに入ったチェアが首からぶら下がっていました。収納バッグの紐を首からさげていたものこそ、例の父島のジレンマってやつだったわけです。
視線は強いまま、その人との距離が縮まっていきます。もし、あの時の視線の強さがブザー音で表せるのなら、どんどんどんどん、ブーという警戒音が大きくなっていったことでしょう。そして、いよいよその音の大きさに耐えられず耳を押さえたであろう最大接近の瞬間、その人は僕の胸元をガン見してから、ふっと安心した顔を浮かべてこう言ったのでした。
「よかったぁ。遠くから見てびっくりしてたんです。まだちっちゃい子供を抱きながら、こんなハードな道を歩いてるのかよって」
なるほどなるほどなるほど。僕が首からぶら下げていた専用バッグは遠くから見えれば肌色に、大きさもちっちゃな子供に見えなくもなかったのでした。ようやく強い視線の意味に合点のいった僕が「チェアなんです、これ」と告げると、初対面にもかかわらず、というよりも、さっきまで不信感を抱かれていただろうに、僕らは大きな声で笑いあったのでした。