01おもち、持ちあげ中。
12月17日の土曜日、岩手県一関市内。編集部は、ちょいと道に迷ったりもしながらも、「祝い餅つき振舞い隊」隊長宅に到着しました。出迎えてくれたのはファンキーな七福神の布袋様! 先代隊長がチェーンソーアートで作ったものを2代目隊長とお母様が色を塗って服を着せたという合作なんですって。
ではさっそく。もちつきのはじまりはじまりです。「こがねもち」というもち米を「千本杵」という長い杵でつくのが一関流。さすがだったのが、4人でこねているというのに、杵がまったくぶつからないという匠の技!
そんな匠の技をお届けしてくれるのは、いったいどんなメンバーなのでしょう。こちらは、2代目隊長の岩渕由美子さんの凛々しい後ろ姿。背中の凛々しさとは裏腹に、実は、かなり緊張していたそうなのですが、その理由はこの日はじめて歌い手を任されたから。
由美子隊長、写真右端で熱唱中!「祝い餅つき振舞い隊」は、結婚式などの各種お祝いごとを盛り上げてくれるのですが、ただ単におもちをつくだけではなく〝歌いながら〟というのが特徴。この日は近くの田んぼをお借りして、月刊LOGOS新年号をお祝いしてくれたのでした。
隊長の歌の師匠である小岩繁さんに歌い手をチェンジしつつ、もちつきは続きます。小岩さんの歌に対して、つき手とあいどり(※もちを絶妙のタイミングでひっくり返す人)が「♪はぁ〜よいさ〜よいさ〜」とか「♪よほほい〜!」とか合いの手を入れます。これがもう、思わず真似したくなる絶妙なふしまわし。もちろん、思わず真似して叫んでましたし、つき手の達人=木村盛さんと熊谷敏樹さんに教えてもらいながら、もちつき体験をさせてもらったのでした。
おもちが風船のように膨らんだら〝いい塩梅〟。そして、「祝い餅つき振舞い隊」のオリジナル必殺技と言ってよいでしょう。いい塩梅のおもちを〝もちあげ〟。この瞬間が最高でした。多幸感があふれて笑ってしまう感覚とでもいうのか、「めでたい」という名のメーターがあったとしたら完全に振り切れていた超めでたい瞬間でした。
あいどりの高橋鈴枝さんが、つきたてのおもちを振る舞ってくれました。あったかくてもち米の甘味がやさしく口に広がってもちろんモチモチで超絶美味。高橋栞ちゃん(7歳)も〝食べ手〟として大満足試食中。さらに!
各種味付けを施された日には、おかわりがとまりません。とくに衝撃的だったのが、写真中央のネギもち。地元の特産品である曲がりネギを使っているからこそらしいのですが、甘くてやわらかくて、神々しいほどに美味!
ちょっぴりだけど自分でこのおもちをついて参加できていたのもこの日の幸福度につながっていた気がします。お皿の下から時計まわりに、あんこ、ネギもち、ずんだ。あんこから食べはじめるのが正式なルールなのだそう。
一関のお雑煮は、大根、ニンジン、ゴボウなどを千切りにした「ひきな」と呼ばれる食材と鶏肉などが具材に。お味噌汁と一緒で、各家庭によってこだわりの味が違うそうです。昨夜降った雪が残る、この日の寒い外ごはんには最高の逸品でした。
外ごはんといえば、もちピザにも挑戦してきました。つきたておもちを大満足試食してくれた栞ちゃんの指示のもと、姉・高橋一花ちゃん(10歳)が「LOGOS THE KAMADO EMiwa」で焼いてくれました。
笑顔がそっくりな高橋母娘。お母さんの実家の裏がワイルドな山で「キャンプとかというより、子供たちにとってはそこで遊ぶのがアウトドアですね」……などと雑談していたらちょっぴり焦げちゃいました。なのになぜかみんなで大爆笑。月刊LOGOSの好きな言葉=「失敗も思い出」でした。
高橋家父(写真右)と暖をとっているのは、武居ファミリー。結友くん(9歳)は、釣りが大好き。「気仙沼の大島でキャンプした時は鯛が釣れたよ! 10cmぐらいのちっちゃいやつだったけど」と若干9歳だというのに、話にオチをつけながら教えてくれました。しかもです。なんと、武居家はロゴサー(※ LOGOSアイテム愛用者)だったのです。LOGOSの王様テント「ドゥーブル」を購入、釣りキャンプの時も大活躍だったそうです。
あいどりの高橋鈴枝さんは、いろんなことを教えてくれました。「石臼よりも木の臼でついたおもちのほうが断然おいしい」「祝い餅つき振舞い隊はね、いろんな所へ行っているの。青森や福岡、沖縄にも行ったし、台湾とミラノにも日本代表の和食=おもちとして呼ばれたの」「おもちって不思議でね、最初は5人だったのが、つきはじめると200人ぐらいに増えてんのよね」「私はね、名前に鈴がついているからリンリンって鳴るみたいにおしゃべりなの」。鈴ちゃんさん、いろいろ教えてくれてありがとうー!
おまけ。裏方として祝い餅つき振舞い隊を支える岩渕ムツ子さん(74歳)は、2代目隊長の母にして、先代隊長の妻であった人。残念ながら先代隊長は亡くなってしまったけれど、祝い餅つき振舞い隊の礎を作った方だった。先代隊長のどこが好きでしたかとムツ子さんに尋ねると「そんなこと聞かれたことない!」と大爆笑したのちに、こんなことを教えてくれたのでした。
「適当なところが好きだったかもしんない。私がきっちりしているから、それがよかったのかなぁと思うね。私と私だったら大喧嘩してたから。それに、あの人は人前に出るのが好きで、私は裏方が大好きなの。いまもね、おもちにまつわるすべてのことが楽しいから。もち米を研ぐ時から、蒸して、それが臼でつかれると、見ているみんなの視線がおもちに注がれるのね。その視線を見るとね、幸せだなぁって。おもち作りをめんどくさいっていう人もいるけど、私は一回もそんなことを思ったことがなくて、全部の作業が楽しいの。だから、あの人とおもちに感謝なんだよね。今日もね、わざわざ東京から来てくれて、ありがとうね」