01原料はたぶんロマン
みなさんは天然氷でつくったかき氷を食べたことがありますか?
毎年夏になると必ずかき氷屋さんの前に大行列ができているのを見かけますよね。
それもこぞって「天然氷」という看板のお店に。
「天然氷」は夏に冷凍庫でサクッとできているものではなく、冬に育てて、人の手で収穫されているものです。ならば、月刊LOGOS編集部は「究極の天然氷」を求めて、採氷される様子を実際にこの目で見て、なぜ天然氷に価値があるのか、この時期だからこその取材を行うことにしました。
向かった先は日光東照宮でおなじみの栃木県日光市にある今市(いまいち)。そこに「松月氷室」という明治27年から続く老舗の蔵元があります。現在は四代目となる吉新昌夫さんが守り続けている蔵です。
そもそも、現在日本にある天然氷の蔵元は全国で7箇所しかありません。
氷ができる場所なのであれば、ただ寒ければいいと思っていましたが大間違い。北海道はもちろん、日本海側にも蔵元はありません。なぜなら様々な条件が揃う場所でしか上質な氷が育たないからです。
その条件とは、山からの天然水が流れつく場所であること。さらに日陰であり風通しが良いこと。そして、雪が降りづらい場所であることです。
しかし、切り出しの前日、現地に到着すると、箒を持った職人たちが雪かきをしている真っ最中でした。
25mプールよりも大きい池の上で雪を丁寧に端から端へと掃いていきますが、掃き終わった場所にはまた雪が積もっていきます。
雪が止んだ後に掃けばいいのにと思ってしまいますが、雪が天然氷の表面で凍って結合し、品質が落ちてしまうため、凍る前に掃き切らなければなりません。吉新さんは「もうすこしで止む予定だから」と言いながら、せっせと掃き続け、その忍耐力に驚かされましたが、雪が止まなかった場合には夜通しで掃き続けることを知り、目が点になりました。
天然氷は10日ほどかけて15cmの厚みに育ててから採氷します。とは言っても、ただ10日間待てば良いわけではなく、綺麗で上質な氷をつくるためには、落ち葉などの汚れが混入しないようにしなくてはなりません。5cmほどの厚みになれば職人たちは氷上での清掃作業が可能になりますが、その厚みに至らずに汚れてしまった場合には、氷面を砕いて破棄し、また0cmから育て直します。
いっそのこと屋根を作ってしまえばいいとも思いましたが、それでは風通しが悪くなってしまい、上質な氷を作ることは困難になります。まるで自然とのいたちごっこです。
そして、雪を掃き終わった場所から、約78cm×50cmの長方形になるように切り出す位置を計算し、鉄の物差しと先端が鋭い棒状の道具で削りながら線引きをしていきます。これもまた途方に暮れる作業でした。
翌朝、午前6時。
池のまわりには光りが一つとしてなく、見事な星空が一面に広がっていました。それにしても寒い。気温は-10℃。遠くから車のヘッドライトとともに吉新さんが現れました。車を降りると軽快に動き出し、小屋の隅にあるスイッチをパチンッとつけます。同時に急な眩しさで思わず目を閉じてしまい、再び目を開けたときには、まるでスケートリンクのように綺麗に凍った池が目の前に姿を現していました。その姿は「神聖」という言葉が似合うほど凛とした表情です。氷上だけに。
「お疲れさん」
片手を軽く挙げて挨拶をしてくれた吉新さんの様子からは、穏やかでありながらも、どこか緊張しているようにも感じられます。
それもそのはず。氷がうまく張って採氷できるのは年に多くて3回。昨年は暖冬のため1回しか採氷できず、さらに厚みも15cmに大きく到達せず、平均9.5cmにしか育たなかったため、経済的にも精神的にも苦しかった。この日は今年初めての切り出しということで、吉新さんも大きな期待と緊張感があったのです。
まだ現場には吉新さんただひとりですが、手際良く大きな丸ノコのエンジンをかけ、氷の切断をはじめます。マスクから漏れる白い息が、その作業の大変さを見事に物語っていました。
そして、一列分の切断が終わり、氷を確認した吉新さんが、
「いい氷だ。これで安心」
と、マスク越しでもわかる笑顔で僕らに言ってくれたのでした。
最初の氷を見た時、まるで大海原の航海から帰ってきて水揚げされた初鰹のような。大切に育ててやっとの思いで収穫できた野菜のような。そんな特別な感情が込み上げてきました。
許可をもらって氷上に立たせてもらいましたが、水の透明度と上質な氷の上は、まるで東京タワーやスカイツリーにある「下がスケスケの地面」のように、池の底が丸見えで、ちょっとした恐怖心すらありました。なによりもずっと立っているとつま先が冷えて痺れるように痛い。この上でずっと作業することは、体力も奪われ、想像よりもずっと大変なはずです。
天然氷は、製氷機で人工的に作られた氷と比べると、値段が高いのは事実。しかし、氷の「冷やす」という機能にまったく差はありません。もちろん、時間をかけて凍らせたことで溶けにくいということ。味がマイルドでおいしいことは確かな利点です。しかし、かき氷の削り手によってはそのおいしさを引き出せないことも十分にあります。言ってしまえば、ある意味マニアックな絶妙な差しかないのです。
そう理解していても、その差にこれだけの手間と苦労をかける理由は、食べる人たちに「日光の冬を届けたいから」と吉新さんは言います。
「自然の恵みでつくられるものだから、豊作の時もあれば不作なときもある。そのおかげで感じられるありがたみがあります。しかし、決して過大評価はしてはいけないとも思っています。できる量は限られているので、天然氷のおいしさと価値観がわかってくれる人に、ちゃんと届けることができれば、それが何よりも嬉しいことです。あまりにも需要が大きくなり、届けなければいけない人に届かなくなってしまっては本末転倒ですから」
気がつけば、孤独に切り出していた吉新さんの元には、家族や若い職人、氷屋さんなど、総勢18人もの人たちが手伝いにきていました。
ちなみに、氷をまるで生き物のように水揚げしていく流れ作業の様子は、なんと「アナと雪の女王」の冒頭3分でリアルに表現されています。超原始的な氷専用のノコギリこそ、今では丸ノコの機械に変わっているけれど、大きなハサミのような道具など、見事にリサーチして、繊細に表現しているディズニーの素晴らしさにも感動させられたのでした。
帰り際、吉新さんの粋な計らいで、切り出しの際にでる端の部分の氷の塊をお土産にくださいました。貴重な天然氷を頂戴し、気分はルンルンです。
さっそく家に帰ってウイスキーを嗜むことにしました。すると、氷が輝いて見えるのです。氷の中に七光が見えるのです。信じられますか? 急いでコンビニで氷を買って比べてみました。すると、残念なことにコンビニの氷にも七光がありました。(苦笑)
「あれ…?」
超絶ガッカリしたのですが、ちゃんと見比べると、やっぱり天然氷のほうが美しく見える。そう思いたいから目が錯覚を起こしているのかもしれない。そう疑ってみても、やっぱり天然氷のほうが美しく見えるのです。
そして、ぼくはこのロマンを消してしまわないように、Google先生で真実かどうかを検索することもなく、大事にまろやかなウイスキーを嗜むことにしたのでした。
実際にあなたも日光の松月さんに行けば、天然氷を購入することができます。この氷で水を飲むだけでも、間違いなく夢見ご心地な体験ができます。ぜひ一度、ロマン溢れる天然氷を味わってみてください!